落語「宗論」

どうも副住職です!
落語には「宗論」という演目があります。
とあるお店の旦那さんはとても熱心な浄土真宗のご門徒でありました。そんな旦那さん、最近キリスト教に興味を示している息子が気に入らない。
教会から帰ってきた息子に浄土真宗の素晴らしいさを、息子はお父さんにキリスト教の素晴らしさをお互いに論じ合います。しかし、論争は平行線を辿り・・・。という内容です。

私が初めて聴いた落語の演目が柳家小三治の宗論でした。小三治の絶妙な語り口もあり、一気に落語の魅力に引き込まれた一席でありました。
最近、三遊亭竜楽さんの宗論を聴いていて、とある一言がありませんでした。その一言とは、お店で働く丁稚の権助が宗論の挙句に喧嘩を始めた旦那と息子の仲裁にはいって言い放つ「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」
小三治の宗論では権助のこの一言によって頭に血が上っている旦那さんがクールダウンします。なので権助の一言が重要になってくるんですね。ですが、ふと思ったんです。仏教とキリスト教の宗論で「どちらが負けても釈迦の恥」はおかしくないか?と。

そこで調べてみると宗論という演目、キリスト教になったのは明治時代からだそうで、もともと浄土真宗と日蓮宗との論争を描いていたそうなんです!
浄土真宗と日蓮宗の争論だと「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」というセリフの合点がいきますね。
三遊亭竜楽の宗論は旦那さんがクールダウンすることなくサゲまでいきます。そうか、こういう話の組み立てもあるんだなと思った一席でありました。
さては、三遊亭竜楽さん、あんたも真宗だな?