映画「スリービルボード」

副住職です!先日、映画「スリービルボード」を観ました。

※ここからは「スリービルボード」のネタバレに触れております。まだ未見の方はお気をつけ下さい。

アメリカはミズーリ州の架空の田舎町。
娘を何者かに無残にも殺された母親ミルドレッドは進展しない捜査に腹を立て、道沿いに立っている看板に警察署長に対する怒りと憤りの広告を掲載する。
そんな警察署長は同僚や街の人々から敬愛されており、住民はミルドレッドの行動を非難する。
そんな折、とある出来事から事態は予想外の展開をみせていく・・・。

このスリービルボードという映画には主要な登場人物が3人います。
まず娘を殺されたミルドレッド。そしてミルドレッドに告発された警察署長のウィロビー。そのウィロビーを慕うディクソン巡査。

ミルドレッドは娘を殺されたことへの後悔と怒り。ディクソンは末期の癌に侵されており、妻と幼き娘を残して去らねばならない後悔と喪失。ディクソンは母親の呪縛から逃れられず、怠慢な価値観の持ち主。様々な思惑や感情が入り乱れた人物達の物語です。

この映画に「怒りは怒りを来す」というセリフが出てきます。

母親であるミルドレッドは見つからない犯人に、警察に、そして自分自身に対する怒りを広告に表します。
そんなミルドレッド一人の怒りが、様々な怒りの連鎖を生んでいきます。そしてその怒りの先には・・・。

誰かに向けれた怒りは怒りしか生まず、その怒りは負の連鎖を引き起こし悲劇を生み出す。近年ではブルースウィリス主演の「ルーパー」がその様な映画だったと思います。

仏教では怒りの事を「瞋恚(しんに)」と言います。瞋恚とは煩悩の事なんですね。煩悩とは煩わし悩ます心のはたらきの事です。私たちは怒りの原因を外に求めますが、実は怒りの本質は自らの内にある煩悩なのではないでしょうか。
浄土宗の開祖、法然上人のお父さんは法然上人が幼い頃に殺されてしまいます。法然上人のお父さんは岡山県久米で地域の治安の維持にあたる役所でした。
ある日、以前から仲の悪かった武士に夜討にあい非業の最期を遂げます。法然上人は悲しみ怒り、瀕死の父に言います「必ずや恨みを晴らしてみせます」と。
しかし、そんな息子に父は「決して敵を恨んではならないよ」と諭されたのでした。
仇討ちをしても、仇討ちをされた子供が今度は仇討ちをしに来る。憎しみは憎しみを生み出し、恨みは恨みを呼ぶ。その負の連鎖は止む事はないとお父さんは見通されたのでした。人間の本質を見抜かれていたんですね。

専念寺 法然上人
法然上人絵像

このスリービルボードでは怒りの連鎖を止めるのは、ある登場人物の手紙でした。おそらくその登場人物は怒りの本質を見抜いていたのではないかと思います。手紙で「憎しみは何も生まない」と書かれており、その言葉はとある人物の心を揺さぶります。

この映画、最初は傲慢な警察署長に対して、娘を失った母親が警察権力に立ち向かう映画なのかな?と思っていました。しかし、話は私が思っていた方向とはまったく違う方向に向かい、また映画が進むに連れて登場人物達に感じる見方も変わってきます。
何が善?何が悪?古今東西、様々な映画が投げかけてきたであろう何が善で何が悪なのか。このスリービルボードも何が善で何が悪なのかを描いている映画でした。しかも特に秀逸に描いていたと思います。

スリービルボードは怒りの本質、そこから派生する善悪の問題、そんな人間の業を丹念に描いた映画でした。


「スリー・ビルボード

  監督:マーティン・マクドナー

  脚本:マーティン・マクドナー

  出演:フランシス・マクドーマンド

  公開:2017年

  時間:115分