御入滅之地〜角坊別院〜

専念寺 日記

どうも副住職です‼︎
親鸞聖人がご往生されたのは弘長2年1262年(新暦1月16日)になります。そしてご往生された地が京都にある角坊別院(すみのぼうべついん)であると言われております。(入滅地には諸説有り)
詳しくは親鸞聖人600回忌大遠忌に際し、当時の本願寺第二十代宗主、広如上人(こうにょしょうにん)が親鸞聖人のご往生の地を「御伝鈔(ごでんしょう)」の「押小路(おしこうじ)の南、万里小路(までのこうじ)より東」という記述から調査・研究し、安政4年(1857年)に建立されました。


角坊別院のしおりによると、親鸞聖人ご在世の当時、角坊別院がある山ノ内の地には比叡山東塔・善法院の支坊があったそうです。そこには親鸞聖人の弟、尋有僧都が住まわれていました。
親鸞聖人が関東から京都にお戻りになった当初は、現在の五条西洞院の辺りに住まわれていたのですが、建長7年(1255年)に火災により焼失したために、善法院に移り住み、その一角に身を寄せておりました。
親鸞聖人がお亡くなりになられた後は、この地は隠滅していましたが、広如上人のご尽力により再び坊舎が建立されました。

そんな角坊別院の裏手には中央仏教学院という浄土真宗の教学やお勤めの作法を学ぶ学校があります。私も10年前に2年間、学ばせて頂いておりました。昨日、若坊守がこの中央仏教学院の通信教育のスクーリングで一泊二日の学びを終えてきました。
決して長い期間ではありませんが、2日間は中身の濃ゆい内容だったそうです。
まだまだ研鑽が必要ではありますが、とりあえずはお疲れさんと若坊守にお伝えしました(^.^)