隠れ念仏〜山田村の伝助さん〜

どうも副住職です‼︎

熊本県は球磨地方(クマチホウ)、人吉では1554年から300年もの間、浄土真宗の信仰が人吉藩によって硬く禁じられていた事を前回の日記でお話をさせて頂きました。
人吉にある人吉別院では当時の弾圧されていたご門徒の方々の命をかけた信仰の一部を今に伝えております。

人吉藩による厳しい弾圧の中で、山田村の伝助という方がいました。

伝助というお方はたいそう熱心な浄土真宗のご門徒でありながら「毛坊主」と呼ばれており、僧侶の代わりに多くの方々への布教活動を行なっておりました。

しかし、ある日、本願寺参拝の帰り道に村人の密告により伝助さんは役人に捕らえられてしまいます。
捕らえられた伝助さんは牢獄に入れられましたが、覚悟を決めていた伝助さんに悲しみの色はなく、静かに口にお念仏を称え、全てを白状し断罪が下るのを待っておりました。
そんな伝助さんの姿に心打たれた役人たちは「転宗」をすすめ、仏像仏具を全て焼却したならば命は助けてやると伝えたのですが、伝助さんはご親切はありがとうございますが、私は、もはやいくばくもない命、短いこの世に執着してご恩放射のお念仏を止めようなどとは思いもよらぬ事でごさいます。私の称名念仏は弥陀のご方便によるもので、私一存の計らいではない、念仏を断ち仏像を焼いたところで内心の信心を打ち消すことはできない。それでは公儀を偽り、かえって不敬の極みでありましょうと答えました。

そして、正信偈と白骨の御文章を声高らかに拝読し、お念仏を口に称え、多くの人々に一足先にお浄土の蓮台で待ち受け申す。たとい我が命は今ここで果てようとも往生成仏は疑いなし、今日この不思議なご縁によって皆さんもどうか仏さまこご恩を喜んで下されよと言い残し山田川原の刑場にて打ち首となりました。

享年六十歳。首は獄門台にさらされたのですが、伝助さんのお弟子である秋山和七郎が師匠の首が放置され腐敗し鳥獣の餌になることを嘆き、打ち首から六日目の夜、暗闇にまぎれながら伝助さんの首を持ち帰り、自身の家の敷地内に埋葬したのですが、埋める時に伝助さんの首は敷地内に埋めた事を後々の証として、頭髪と残っていた2本の歯を抜き取理ました。人吉別院にはその歯の1本が展示されておりました。

伝助さんの歯
伝助さんの歯
伝助さんの歯と位牌
伝助さんの歯と位牌

秋山家では代々長男に首を持ち帰り埋めたという秘密を口伝したそうです。

今回の熊本の人吉別院参拝を通して、どんなに困難な中にあろうとも、阿弥陀さまのみ教えを心から喜ばれた伝助さんの人柄を偲ぶ事ができました。